BIOGRAPHY
金ノプロペラ舍
世界的な社会構造の変化は、ありとあらゆる地域やコミュニティーに具体的なヒズミとして表出しています。
金ノプロペラ舍は、領域横断的な方法で、グローバルな視点から地域やコミュニティーにおけるヒズミを考察し、スキマを捉え、新たな工夫・遊び・活力・イメージを生み出し、それらの動きを再び地域やコミュニティーを越えた世界へと発信・共有する循環運動の実践を目指しています。
循環不全となってしまった、人と人、人と自然環境、現在と過去、そして未来へと繋がる関係を、新たな形で再生していく事を目的としています。
金ノプロペラ舍 遊び書き
西暦2011年の東日本大震災につづき、西暦2012年には地元の北海道室蘭市で真冬の吹雪で鉄塔が倒れ二万世帯近くの大停電を起こし数日間冷凍都市と化した。
まるでゆるぎない地盤と信じていたものが、実はいつ腐るかわからぬベニア板だったかのように思えた。
自分は一体なにの恩恵で生きているのか?僕の食べ物は一体誰が何処でどのように作っているのか。僕の服は一体誰が何処でどのように作っているのか。僕が使ってる電気は一体誰が何処でどのように作っているのか。僕の飲んでる水は一体誰が何処でどのように作っているのか。生活を成り立たせている基盤は霞み、生活の距離感が途方もなくつかめない。僕はそんなことも知らないで音楽を演奏したり日々生きていられる事に愕然とした。
僕は全てを0から始めなおさなくてはいけなくなった。
自分から切り離されてしまった世界の全体性を、もう一度自らの体で再生する必要があった。
僕は一体どこからきてどこへ向かっているのか?
僕はどう生きるべきなのか?
使い古された神話やコスモロギーではそれに答えることはできない。
新たなる神話、現在に生きるコスモロジーを自らの手で再生しなくてはいけない。
作るのではなく、再び生み出すのだ。
アマチュアに対してはプロの精神で。
プロに対してはアマチュアの精神で。
まるでレヴィストロースがブリコラージュと呼んだかのように。
あの手この手を使って浮かび上がってくる新たなる神話。
自分や周りの人間が治癒されていくプロセス。
遊び。
哲学らしい哲学ではなく、宗教らしい宗教ではなく、芸術らしい芸術ではなく、神話らしい神話ではなく、生活らしい生活ではなく。
そのようなものを求めている。
ハブヒロシ
2019年には岡山県高梁市有漢町に伝わる音頭を復活し、CDアルバム<長蔵音頭>を全国発売する。
ハブヒロシ 年表
幼少
北の果て、かつて製鉄で栄えた港町、葬祭を営む仏具店に生まれ育つ。
夢は動物のお医者さん。
中高
宇宙論・物理の研究者を目指し茨城県つくば市のとある寮に入る。
ラグビーでは東日本大会で優勝し、茨城県代表として国体に出場と好成績を残すが、
高校卒業の前日に悪行を働き卒業取消に。
その後一週間かけて学校をピカピカに掃除し更生する。
大学
東京造形大学映画専攻に無事入学。
谷川俊太郎×覚和歌子による写真映画「ヤーチャイカ」にて雑用係をつとめる。主演は香川照之と尾野真千子さん。
映画よりも民族音楽にハマりだす。その流れで浅草サンバカーニバルにも出場し、優勝を果たす。
民族音楽熱は冷めることなく、インドネシアの国立芸術大学ソロ・スラカルタ校にてガムラン音楽の研修をする為、インドネシアに渡る。
研修後もジャワ島のジョグジャカルタに滞在し、現地で映画仲間を集め恋愛映画を制作し上映する。
インドネシアでの体験が深く人生を変える。
帰国後、仲間たちと「やちゃおう倶楽部」を結成し、そのパフォーマンス作品「激愛」が卒業最優秀賞であるZOKEI賞を受賞する。
卒業後
調和道丹田呼吸法に出会う。
丹田呼吸法の仲間の布施さんと冒険にハマりだす、が、真冬の山で遭難してしまい、死にかける。
この頃は日々パフォーマンス制作に没頭していた。
東京芸術劇場に来日していたイギリスの劇団「プロペラ」によるシェイクスピア作品の上演後、会場にてゲリラパフォーマンスを決行。
警備員に止められそうになるが最終的には野田秀樹さんやプロペラのメンバー達と共に一つの輪になり皆で奇跡のダンス、まさに大円団。サインをいただき退散する。
その後、本格的に歩く事にハマりだし、物語が発生する源を探るべく、野田秀樹さんのワークショップに向けて東京から大坂まで竹やりを地面で打ちながら歩いて横断する。
20代中頃
再び音楽への探究心に火が付きはじめ、サックスを林栄一、音楽理論を菊池成孔に師事する。
その後、アフリカのセネガルに渡り、人間国宝ドゥドゥ・ンジャエ・ローズ・ファミリーのもとで伝統音楽を学ぶ。
「お前の親はアフリカ人なのか?」とドゥドゥの奥様に言われ、確かに遠い遠い親はアフリカ人だったかもしれないと遠い記憶に思いを馳せる。
帰国後、TV東京「おはスタ」に出演するも、ヘマをする。
この頃、松崎ナオ、馬喰町バンド、SUNDRUM、チェ・ジェチョル、サム・ベネット、等と出会い音楽活動に専念し始める。
27歳
東日本大震災を皮切りに、自分の何気ない行動が結果的に自分の好きな物の首を絞めているのではないか?という問いが深くなり、そのような問題をゼロから問い直し解き実践していくチーム「 金ノプロペラ舎 」を設立。
それと同時に自作の太鼓 「 遊鼓 」 が生まれる。
NHK-BS1「エルムンド」に「馬喰町バンド」で三夜連続出演。遊鼓の初TV出演を果たし、山田五郎さんの誕生日を祝う。
長年住んできた東京を深く知るため、できたばかりの遊鼓を深く知るため、遊鼓を叩きながら東京の中心「山手線」を丸一周歩いたり、東京の聖地「高尾山」に登ったり、東京のゴミの果て「夢の島」を巡ったり、東京の山から空を繋ぐ「奥多摩湖~羽田空港」まで100㎞ほど多摩川に沿って突き抜けたり、兎に角、歩きまくる。
28歳
wowow「ザ・プライムショー」に出演。数少ないTV出演にも関わらず、出演者の誕生日に縁があるのか、山田五郎さんに引き続き、土屋アンナさんの誕生日を祝う。胸キュン。
人類の宇宙観の結晶である暦。その暦にまつわる自身初の著作「宇宙飛行暦」を出版。
少部数だが、完売。
29歳
以前、共に雪山で死にかけた丹田呼吸法の仲間の布施さんと、坂東三十三観音、秩父三十四観音、西国三十三観音、江戸三十三観音、番外も含め139の寺を巡礼し、満願する。
移住後、唯一無二の音楽家を有漢に招き奇跡のコラボレーションを繰り広げる「ハブライブ!ラブライフ!」の第一回目を開催。初のゲストは親指ピアノ界のポップスター「サカキマンゴー」さん。
日本最大級のクラシック音楽祭ラ・フォル・ジュネに「チェ・ジェチョル×ハブヒロシ×大野慎也」で出演。おそらくプログラム内で一番カロリーを消費したグループであったに違いない。
32歳
誕生日に、尊敬してやまないインド仏教徒1億5千万人のリーダーである佐々井秀嶺上人に遊鼓の裏面にサインをいただく。遊鼓を叩く意識が変わる。
山里パンクバンド「有漢ちゃんぷるオーケストラ」結成。
NHKシャキーンの「おもしりとり」に有漢の子供たちと出演。
有漢で廃れていた水車小屋を再生し、小水力発電を制作。山陽新聞や、季刊地域に取り上げられる。
あふりらんぽのオニと歩いていたら、一瞬だけ「マツコの月曜日から夜更かし」にチラリ。
有漢の山の幸を味わい尽くす「うかん山里フェスタ」をスタート。春と秋に開催し、山菜取りや、昆虫食、釣り、お茶づくり、竹炭づくりなどありとあらゆる山の営みを体験する。
岡山大学大学院医歯薬学総合研究科にて医学的根拠を決定する理論と方法論である疫学を学び始める。
33歳
滞在型アートスタジオ「Star Geo Studio スタージオスタジオ」を有漢町内に開設。
西日本を中心に史上まれにみる豪雨が高梁を襲い、町が崩壊する。生まれて初めて避難所で夜を過ごし、その後はゴミ処理を中心に町の復興に励む。
公益社団法人調和道協会の会長であった日野原重明先生がお亡くなりになられたと同時に組織も解散。その後継団体としてNPO法人丹田呼吸法普及会を設立。微力ながらも副理事長として組織再建に努める。有漢町で丹田呼吸の合宿を開催し、全国各地から丹田呼吸の達人が集まる。
日本最古の柔術である「竹内流柔術 日下捕手開山」に入門。
34歳
有漢に伝わっていた最古の盆踊り「長蔵音頭(四ツ拍子)」が約二十年前に消滅していたのを、地道な調査と活動により復活。
2019.8.10
CDアルバム<長蔵音頭>全国発売開始。
2020.2.15
倉敷芸文館にて備中神楽と共演。
〈クロスカルチャーKAGURAフェスティバル〉