OUR MUSIC

長蔵音頭

舞台は岡山県高梁市有漢町。(たかはしし うかんちょう)

 永らく町から消滅していた長蔵音頭。(ちょうぞうおんど)

 令和元年の夏、遂に完全復活!

 天明の大飢饉、有漢を救った綱島長蔵夫妻。 

その物語が今、鮮やかに蘇る!!

2019年8月10日よりタワーレコード、

HMV、TSUTAYA、アマゾンなど

全国のCDショップにて販売開始!!!

iTunes、Apple Music、Spotify、LINE MUSIC、など様々なデジタル配信サービスで販売中 !!

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ハブライブ!ラブライフ!

『〈テレ〉第5回ハブライブ!ラブライフ!&まのび堂1周年祭 』

第四回ハブライブ!ラブライフ!UA×あふりらんぽ×マレウレウ×サカキマンゴー×ハブヒロシ』

2020.3.1 岡山県高梁市川上町 インターネット配信 from 茶屋まのび堂

コロナウィルスの影響から急遽テレライブに変更!

これはまさにテレ祭りでした!!

各出演者が収録してくれた映像が愛に溢れまくっていて、心が動かされ揺さぶられまくりました。

急な変更にも関わらず、まのび堂、演者、映像家、音響家、スタッフ、と愛する仲間たちと本気でこの1日を一緒に作り上げていく事ができました。

人生初の電話越しからのカメラ越しライブというのも経験させてくれてました。

テレライブすごかった!

もはやコロナにも感謝!

そして、何よりこの配信を視聴してくれた皆さまに感謝です。

まのび堂1周年おめでとう!!

出演:坪内あつし、佐伯真由美(from あふりらんぽ)、横手アリサ × 水谷浩章 DUO、チェ・ジェチョル、馬喰町バンド、ハブヒロシ with 有漢ちゃんぷるオーケストラ

『第四回ハブライブ!ラブライフ!UA×あふりらんぽ×マレウレウ×サカキマンゴー×ハブヒロシ』

2018.5.31 岡山県高梁市有漢町 有漢スポーツパーク多目的グラウンド

日本を代表する歌手のUAさん、カリスマロックバンドあふりらんぽ、アイヌ音楽の最先端マレウレウ、親指ピアノ界のポップスターのサカキマンゴー、そしてハブヒロシが有漢の地で奇跡の花を咲かせた。

『第三回ハブライブ!ラブライフ! with OKI & Rekpo × 小谷野哲郎』

2018.1.30(火)岡山県高梁市有漢町 有漢公民館多目的ホール

世界で活躍するアイヌのカリスマ「OKI&Rekpo」そして世界的バリ舞踊家「小谷野哲郎」。北の大地と南の島が高梁で交わった。

前日には有漢の小中学生に向けて特別公演を行った。

『第二回ハブライブ!ラブライフ! with SUNDRUM』

2017.11.26(日)岡山県高梁市有漢町 有漢体育館

第二回目は歌・踊・太鼓のみで圧倒的パフォーマンスを繰り広げ、ハブヒロシも所属するバンドであるSUNDRUMを招く。スペシャルゲストとして日本の代表的バリ舞踊家である小谷野哲郎さんも加わった。

ライブ前には日本の絶海の孤島「青ヶ島」の芸能である「還住太鼓」のワークッショプを開催。

『第一回 ハブライブ!ラブライフ! サカキマンゴー×ハブヒロシ』

2017.5.20 (土) 岡山県高梁市有漢町 上有漢神社

第一回目は日本を代表するアフリカの楽器・親指ピアノ奏者のサカキマンゴーさんをお招きしました。

ライブ前には親指ピアノのワークショップも開催!

備中神楽

2020.2.15

備中神楽との共演、あっという間の時間でした!

同じ日本列島とは言え、地域によって芸能が発する音の言葉・ナマリは外国語に等しいものがあります。

それ故に、完全に理解する事なんて不可能ではあるのですが、異なる言葉を喋る同士が歩み寄るなかで、通じ合う強烈な瞬間を幾度か感じる事ができました。

完成された美ではなく、異なる者同士、人と人と、今と昔が自然な形で歩み寄る姿を、神様にも楽しんでいただけたのかと思います。

このような体験しがたい貴重な機会をいただき、感謝です。

写真:ウホ吉

有漢ちゃんぷるオーケストラ

二〇一七年に岡山県高梁市有漢町で結成されたグループ。「ちゃんぷる」という言葉は沖縄のゴーヤチャンプルで有名だが、インドネシアにおいても沖縄と同様に「混ぜる」という意味で使われている。有漢町では数多くのインドネシア人が工場で働いており、彼らとハブヒロシが遊び始めたのがグループ結成のキッカケになる。それからは、町のお祭りによく演奏を依頼されるようになり、現在では小学生から敬老会メンバーまでありとあらゆる人間がちゃんぷるして音楽を楽しんでいる。楽器なんか上手く演奏できなくたって私たちのやり方で面白い音楽は奏でられるのだ、という揺るぎなき信念を貫く山里パンクバンド。

OUR MUSIC 遊び書き

僕は民族音楽という言葉が嫌いだった。

その植民地主義的な響きがどうにも鼻持ちならなかったのかもしれない。

しかしある大晦日の夜、僕は民族音楽という言葉のもつ新たなる可能性に気づかされる事になった…

僕はその夜、ニューイヤー・カウントダウンライブに出演していた。

出演者は皆んな日本人だったが、アフリカの楽器を使ったりセネガルのダンスを踊ったりするアフリカ色の強いイベントだった。

その関係もありアフリカのセネガル人の若者達がお客さんとして見に来ていた。

そのセネガルの若者達は特にはしゃぐわけでもなく、落ちついた様子で終始ライブを見ていた。しかし、イベントも終盤にさしかかった頃、DJの音楽が流れてるなか、突如セネガルの若者達がステージにあがりはじめた。

なんとそのDJの音楽に合わせ、自分たちの音楽と踊りを始めだしたのである。

その名も、セネガル人クラブジャック事件!!!

彼らはそのDJが流していた音楽やライブ会場に置いてた楽器達を完全に自分たちの音楽と楽器に換骨奪胎していた。彼らは自分たちの独自の音楽言語で僕らにはわからないツーカーの決まり事を次々と繰り出し、会場の空気を完全にもっていった。

彼らは異国の地で自分たちの音楽を我々にふっかけるかのようにぶつけてきた。

喜びに満ちた挑発的な声が彼らの体の隅々から溢れ出ているように感じた。細胞から溢れ出てくる熱い熱いバイブレーションを感じた。

僕達ははっきり言ってお世辞にも対抗できているとは言えなかった。一対一なら対抗できたかもしれないが、集団としての音楽ではまるで歯がたっていなかった。彼らには彼らだけの言語が濃厚に存在したが、僕達はそれに比べると明らかに何かが薄かった。

完全に打ちのめされた。

音楽は勝負ではないが、勝負の時もある。そんな時に個人の力なんてものではどうにもならないのだ。

僕らは僕らのやり方を見つければいい。そこから初めて対話が始まり、戯れが始まる。

僕は考えをあらためた。

言葉というのはいつも底抜けで定義という網目をすり抜けていくが、彼らの音楽からは確かに民族の意志というようなものを感じた。自分たちの民族の言葉で会話していた。

民俗音楽という言葉では抜けおちてしまうような大事な気概のようなものがあった。

僕は彼らに今までの消費するだけの民族音楽とは違う本当の意味での民族音楽というものに気づかされた。

それはいわゆる鎖国主義や国粋主義、民族主義や伝統主義というようなものでは全くない。

僕にとって民族音楽というのはP-FUNKのようなもの、子供たちの変え歌のようなもの、初期のサムルノリのようなものだ。

それは観察者を置いていってしまうような生命の躍動だ。

現在進行形の民族音楽、われわれの民族音楽、アワー・ミュージック。

世界の基準に合わせる必要はない。

われわれの当たり前が、われわれのやり方が、われわれの企てが渦を巻いてこそ、初めてこちらとあちらの扉は開く。