LIFE TECHNOLOGY

小水力発電制作

有漢で廃れていた水車小屋を再生し、小水力発電を制作。山陽新聞や、季刊地域などに取り上げていただきました。

山里フェスタ

有漢の山の幸を味わい尽くす「うかん山里フェスタ」を2018年度からスタート。年に二回、春と秋に開催し、山菜取りや、昆虫食、釣り、お茶づくり、竹炭づくりなどありとあらゆる山の営みを体験する。

竹炭づくり

竹をつかった炭づくりにハマる。

農民もどき

キノコ、野菜、山菜、、美味しい!

電子情報技術 遊び書き

世界との距離感を身の回りの物事を通して再生しようと、生活の根本から一つ一つ洗いなおしてみる。

すると、どうしても避けて通ることのできない大きな壁にぶちあたる。

それは電子情報機器だ。

へ?

それが壁なの?

と拍子抜けしてしまうような幼稚で些末な話にも聞こえるかもしれないが、その存在を今一度自分なりに整理しておきたいと思う。

電子情報機器というのは、まるで現代情報社会そのものの化身だ。

その先に繋がる世界の全体像は身体の実感からは到底つかみきれないほど巨大だ。

茶碗やお箸、太鼓、服などは自然にあるものを採集すればお金はかけずに作る事が出来る。

しかし、PCを自分でゼロから作ろうとしたところで、結局は部品はお金で買ってこなければいけない。携帯を作ろうとしても個人でICチップまでは作れない。電子カメラを作りUSBを作りネットに接続するというのはどう考えても難しい。人生がいくつあっても足りない。

身の丈を使って世界に触れようとする試みは、電子情報社会の前ではコッパ微塵である。

東日本大震災以降、日々の生活を身の丈を使ってゼロから見直している自分にとって、これらの機器やシステムをどう捉えるべきか考えてみたくなった。

究極を考えれば、情報機器というのは殊更無かったら死ぬということでもないし、それほど必要のない余分なものかもしれない。

しかし、実際に生きる社会は電子情報社会。

無限に溢れる情報機器は、まるでこの超高度情報化社会の巨大な化身、もしくは決して掴みきる事の出来ない人知を超えた世界にアクセスするための神器のようにも見える。

使っている時にはその巨大な化身の一部となっているのだろう。

現在、主に一般的に使われる神器の中で最重要神器はiPhoneだろう。これさえあれば、情報社会とほぼ完全にシンクロする事ができる。

『音声通話、ビデオ通話、チャット、メール、写真、ビデオ、録音、写真編集、動画編集、音楽編集、マップ、乗換案内、ニュース、SNS、ホームページ、ブログ、インターネット検索、買い物、広告宣伝、音楽鑑賞、映像鑑賞、目覚まし時計』

などと神のごとく万能の機能を備えている。

ちなみに、このホームページもほぼiPhoneによる作業の結晶である。(2017年)

これらの機能さえあれば、情報社会にコミットする為の殆どの事はできるし、iPhoneを使いこなせればこの情報社会を生きていく上でかなり強力な道具となりえる。

情報社会を生きてく上で使える機能があるのならば、それらを有効に活用していけば良い。

しかしもう一方、人間が生きる原始の世界においては、これらは全て不必要で、全くもって無駄なものとも言える。

もし現代の基盤が大きく崩れ去った時、何が生き残る上で必要になるかは全く予想つかないが、高度情報社会のレイヤーにどっぷり肩をあずけていては、想像を超える大きな変化を生き残る事はできないだろう。

地球の天変地異を描いた、さいとうたかをの「サバイバル」という漫画があるが、僕はこの漫画が大好きで、幼少期から想像を根底から覆すような事態をシュミレーションする癖がついてしまっている。

僕の中で、自らのコスモロジーを再生していく試みと、サバイバルを考えるというのは深く繋がっているのかもしれない。

恐らく、自らのコスモロジーが深い身体性に根差している人は、サバイブする力が強いはずだ。

現代特有のアウトソージングでインスタントな世界に支えられた透明な身体性では、深い実感に根差したコスモロジーは獲得しえないだろう。

とはいえ、現行のシステムが通用しない状況でのサバイバルがあると同時に、現行のシステムの上においてのサバイバルというのもある筈だ。

情報社会をサバイバルするには情報電子機器は不可欠だ。

その点においてiPhoneの機能は存分に利用できると思う。

しかし、情報社会の化身の一部となることによって、人々の意識は流れてくる情報に強く影響され、世界で流通する情報機器を司るものにいとも簡単に操作されてしまうでしょう。

自分が考えているつもりでも実はそうではなかったという事があり得る。

また、この分野は技術革新がすさまじく、次の技術が出てきたときにはドンドンと変化していく領域なので、いずれiPhoneも消え去りまた新たなる器が出てくるのだと思う。

そんな変化の激しい 「電子技術 electonics technology」 とは正反対に、 「原始技術 primitive technology」 は地球環境や身体の影響を受けるが、技術の持続可能性はかなり高い。その二つの領域には技術が陳腐化していくスピードにおいて大きな隔たりがある。「電子技術」には虚しさを感じるが、「原始技術 」は人類の体や自然環境が大きく変わらない限り生きる技術だ。カセットテープには虚しさを感じるが、火おこしには虚しさを感じない。

そして、その二つの領域の他にも、それらの架け橋として文明と自然を繋ぐ「循環技術 recycling technology」という技術が考えられる。

「原始技術 」 と「循環技術」については、実際に手足を動かし今後深く探究していきたい。

「電子技術」についてはその変化の流れと人類の情熱にライドオンしつつ、活用しつつも、それらの技術を通して大きなシステムに繋がっているという自覚を持ちながら、そのシステム、その巨大なある種の生命現象は一体なんなのか?という事を問うていきたい。

人間の止まる事のない技術開発はこれからどのように社会をかえていくのか?どのように人類の意識を変え身体をを変えていくのか?もしくは変わらないのか?

人類の未来を探るにはあえて、人類が共有するその巨大な業の中に突き進む事が有効な場合がある。

ほとんどの挑戦が「ミイラ取りがミイラに!」になってしまうだろうし、僕自身ミイラになるミイラ取りの代表格ではあるが、原理主義では人類の未来は開けないとするならば、やはりミイラになるかもしれない危険性を知りつつもミイラを取りに行くミイラ取りでなければ道は開けないだろう。

人類の巨大な業の流れに乗りながらも、その流れの方向を見極め、未来の舵をきる智慧が今こそ求められている。